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2014.04.3014:06

血族と血筋と宗教と・・。

 昨日は「物神崇拝」の記事をコピペで2~3回以上回した。私の場合は同じコピペでも、そっくりそのままで押し通すということはまずない。推敲・改稿を少しずつ加えながらやっている。そして大抵の場合後になった方が記述が増すことになるが、文章が若干増えたからと言って内容が深まるわけでは毛頭ない。元の簡潔なままの表現の方が勝っている場合も多い。ここはどうだろうか。最初は楽天に書き、次にJUGEM、3番目にここfc2.comというコースを辿るのが一番多いように思う。こうなるには別段深い理由はないが、あまり一つのブログに拘り過ぎるのは良くないと最近の私は考えるようになっているから回すのである。第一、何かトラブルが発生したとき第一に困るのは他ならぬ私自身だからで、楽天がトップになるのはあそこはコピーが楽だからだ。それにあそこはあまり理屈を捏ねくり回しても歓迎されることはない。

 昨日私はコピペの途中から【物神崇拝】の一例として日本古代社会の【精霊信仰(いわゆるアニミズム)】を追加して挙げたが、これは厳密に言ったら正しくないのだとわかっていて敢てそうした。何とはなしに単なる思いつきで(!)牽強付会してしまったのである。元々私は「学問的な厳密性」などとは縁もゆかりもない、ただのその辺の、ちょっと口煩いおっさんに過ぎないのである。w

 さて、そのアニミズムであるがウィキペディアの冒頭にはこうあった。 ↓

アニミズム(英語: animism)は、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」「地霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である。

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 また中経出版の『世界宗教用語大辞典』にはこうあった。 ↓

アニミズム 【animism】
原始宗教の神秘的信仰形態の一つ。自然界のあらゆるものに固有の霊魂があるとする信仰。万物有魂論。自然界のあらゆるものに(無生物にも)生命活力があるとみるアニマティズムから進んで、あらゆるものに、それ自身の霊魂が宿っていると考え、諸現象はその意志や働きによるものとする信仰。そのためにそれらに供物を捧げ、礼拝する。タイラーは、これを宗教の起源とした。→ アニマティズム タイラー プレアニミズム

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 私は目が悪くなって本を読むことから遠ざかってから10年以上になるだろうか。パソコンも目には良くはないことは百も承知だが、本を探して回ったり、やっと見つけた本で細かい活字を追いかけたりするよりは遥かに楽だ。
 現物の本を探すよりネットで検索にかけた方が早いし、検索すれば関連の情報がまとめて出て来るから利便性も高く、何かにつけWEBは大変便利で私には重宝する。新聞のニュースでも2chの口撃でも、或いは専門用語・学術用語などもだ・・何でもかんでも昼夜を問わず私たちの眼前にぶら下がっているのである。私が毎日のようにこうしてなんたらかんたらわかったような能書きを並べ立てていられるのも、インターネットのお蔭以外の何者でもない。w

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 といったところで本題に入る。
 今日はご先祖様の話を少ししてみたい。前提として、自分の血筋を辿り自分の爺様・婆様と更にその先の爺様・婆様・・を敬い奉ることが我々人類の宿命付けられた性(さが)であると仮に認めておく。
 宗教を例にとっても、例えばキリスト教とイスラム教では、唯一神から遣わされた救世主(メシア)を誰と定めるかで両者は分裂・対立し決別して、最後は命の取り合いにまで発展する。同じイスラム教内部でもスンニー派とシーア派とでは特定の【血統】を重要視(絶対視)するかしないかで両者は対立し、最後はこれも血腥い結果に収束する。キリスト教内部でも話は同様である。聖母マリアを崇めるのがカソリックであり、イエス・キリストを崇めるのが新教徒(プロテスタント)であるが、カソリックには新教徒を大虐殺した暗い過去がある。
 仏教はどうか。仏教には【八部衆】という古代の各部族の守護神がある。八部衆のうち誰を最も敬愛するかによって(それだけではないが)百派百流の宗派が発生する。
 これらは皆、煎じ詰めれば【血筋】の問題である。「自分の子孫を繁栄させるのが第一だ!」ということになれば、これはDNAの持って生まれた本能(さが)そのものではないかという【宿命論】になってしまう。

 付記:仏教にはまた【大乗】と【小乗】の対立もある。小乗は新興勢力たる大乗の側から為された一種差別用語で、今は使われず、代わりに本来の自己呼称たる【上座部仏教】という呼ばれ方をする。

 血の問題とは即ち【SEX】の問題である。
例えば、社長令嬢との縁談が持ち上がって、エリートサラリーマンがそれまで付き合っていた女性を裏切るなんて話は、しばしば2時間ドラマの伏線というか、隠れたテーマに使われる。
私も若い頃、「あいつは【学閥】に入りたいが為に研究室の教授の娘と懇ろになった・・」なんて話は耳にタコが出来るほど聞かされたものである。学会にも政界にもこの【閨閥】が今も跋扈している。

故吉本隆明の【対幻想】という理論提起からも、彼が社会解明の手段として【SEX】を主要なテーマに据えていたことは明らかである。これは個々人の【個的幻想】が男女間の問題即ち【対なる幻想】を飛び越えて一気に社会一般の【共同幻想】に至るなんてことはあり得ないという考え方である。
それにしても【幻想】という言い方は容赦がなく厳しい。彼は比較的若い頃「ぼくが本当のことを言えば世界は白くなる」と告白したことがあった。その言葉を知ったとき、私は「これはニヒリズムということなのかな?」と感じたものである。
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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